祝 市民の会30周年!/関谷敦子

「いかなる分野の貢献者も、長くいると、その貢献度に比例して進歩を妨げる存在となる」(アーサー・ブロック著『マーフィーの法則』@朝日新聞「天声人語」4/17/2025)という言葉に目がとまり、苦笑してしまった。入間市生涯学習をすすめる市民の会の委員を20年以上も引き受け続けているからだ。市民の会は30周年を迎え、それ自体はめでたいのだが、委員のなり手が減少し、存亡の危機にある。「貢献」したかどうかは別として、長くいることで組織の妨げになっていないか。そもそも市民のボランティア活動に自分の人生を二十数年も費やしているのはなぜなのか、考えてみたい。

市民の会での活動を考える前に自分の学びを振り返る。学生時代にサボり過ぎたせいか、その後は興味のままに言語を学んできた。二十代で英国に語学留学、三十代ではドイツ語と手話、四十代で韓国語、五十代で言語(非言語を含む)としての英語・文化とその教授法を学んだ。そして還暦を過ぎて韓国の大学に留学しようというのだから、「生涯学習の見本」みたいだ、と思う。何かを学ぶと、自分の知らない何かが立ち現れる。そしてまた学ぶ。その連続。「すべてを理解しました。もう学ぶことはありません」ということは起きない。

まあ、そんなことで「生涯学習をすすめる」という方向性と“反り”が合っていたのかもしれない。

遡って23年前。幼児から小学生までの3人の子の母だったわたしは、第8回いるま生涯学習フェスティバル(2002年、以下「生フェス」)の実行委員会に団体として召集され、子育て講演会&ディスカッション「生きる力を育てる~みんなでワイワイ話そうよ!」を企画した。子育て中の当時、聞くたびに心に刺さり、なぜか涙してしまう久保田浩先生の話を多くの人に聞いてもらいたかった。この時は市民の会の委員ではなく、いち実行委員だった。

翌年(2003年)に市民の会の委員となり、同年11月の第9回生フェスでは、それまでの生フェスで育んできたネットワークから「子育て部会」「青少年部会」が立ち上がり、子育て部会の担当になった。当時の生フェスは「まちの課題解決」が大きなテーマで、「子育ての課題解決の方策」を探るために連続4回のワークショップ「小学生を持つ親のための講座」を実施した。

そのころは学校教育にも関心があり、市民の会の「学校と地域の連携部会」(現在はなし)の部会長として、新事業に取り組んだ。市民の学びを学校で活かそうと考え、小学校の総合的な学習の時間の授業に市民ボランティアを派遣するコーディネート事業を企画。「市民ボランティアがゲストティーチャー」(2003年)、「市民ボランティアがゲストティーチャーパートⅡ」(2004年)、「総合的な学習の時間、市民ボランティアコーディネート事業」(2005年)(小学校で次年度に最高学年となる5年生が、新1年生を思いやる心を育むことを狙いとし、近隣の幼児施設の年長児と交流する)。子育てを通じての出会いやつながりを総動員して、ゲストティーチャーにふさわしい人材をコーディネートし、教員だけでは不足する知識・技術・人を補った。事業を通して地域の人たちが子どもの学びに貢献できることと、生涯学習の活用の意義を示そうとし、また全市的に取り組みが広がるよう、その事業報告を「総合学習」の担当教員の研修会で発表してコーディネーターの必要性を当時の教育長にも訴えた。しかしコーディネーターの配置を全市的に行うことは難しく2006年以降はモデル事業の継続を断念。(詳細は上記の報告書を参照ください)

2004年の第10回生フェスでは、10周年の節目に(ふさわしい?)「まちづくりに関わる課題」を2つ設定。ひとつは子育て情報の収集と発信で、「子育てわくわくマップづくり」(ワークショップ)に取り組んだ。ワークショップ参加者の思いと行動力で完成した「子育てわくわくマップ」(A3版)を生フェス当日に児童センターで配布したところ大人気だったことから、さらにやる気になった参加者が「いるま子育て情報発信隊」を結成(翌2005年3月)し、継続的に子育て情報を発信する団体が入間市に生まれた。(以後2025年まで毎年「いるま子育てわくわくマップ」発行)。もうひとつは「子育てに関わる団体と行政との横のつながりがない」という課題で、その方策として、子どもと子育てに関わる市民と行政のネットワーク「いるま子育てしやすいまちづくり連絡会」を立ち上げた。(2005年2月~2013年まで原則月1回活動)

その後、生フェス実行委で出会った公民館職員とのつながりから、「子育てわくわくマップワークショップ・パート2」を中央公民館と共催(2006年)。さらに「いるま子育てしやすいまちづくり連絡会」では「放課後の子どもたちアンケート」を実施し、集計結果を遊び心いっぱいの表現「放課後の子どもたち~もしも入間市が100人の村だったら」として第12回生フェス(2006年)で発表、市内小中学校、幼稚園・保育所保育園にも結果を配布。いるま子育てしやすいまちづくり連絡会では、その後、「子どもの遊び ゲームだけでいいの?」(2008年)「積み木遊びワークショップ」(@2008年生フェス)、「将来得する習い事?ワークショップ」(2009年)、「上手なオムツの外し方?」(2010年@生フェス)、「もうすぐ1年生♪なにを準備すればいいの…?」(2011年)「森のようちえんピッコロ」視察(2011年)などなど、次々と市民と行政との協働で事業を実施した。

教育委員会に事務局がある市民団体とはいえ、部会(学校と地域の連携部会)として、学校教育に地域が入り込むのは困難(学校は整備・美化の人材を求め、市民は授業等での支援に関心)と悟ったわたしは、「情報部会」に活動を移した(2009年)。「子育てわくわくマップ」制作の経験から、情報の収集・発信の重要性に気づき、地域の人材や学びの情報を提供することによって、学校支援や市民の学びの推進を行うほうがベターという判断だった。情報部会の会議録(同年8月)には、「①『学びの場』の発行と充実(検索機能の付加、HPを持つサークルとのリンクに関しシステム課と検討を)、②活用の乏しい『市民の講師リスト』を公民館向けに提供&活用の促進。2010年度から市民の会で講座を企画実施、③けいじばんの有効活用と利用促進」とある。

翌年(2010年)には、カレッジ構想PTと情報部会との連携で「コミュニティ型いるまの学び」について検討・考察した。「市民の講師」をより親しみのある「まちの先生」と命名し、登録者同士の交流会を実施(同年12月)。2011年に部会を再編し「企画・情報部会」として、翌2012年から市民講座「まちの先生講座」の試験的な開講を実施した。初年度は参加者179名(延べ男性24、女性155名)実施講座13(全20コマ、7~9月、スタッフ:延べ20名)、講座終了後の10月に「まちの先生交流会」を開催。2013年度からは、講座を秋(10月~)の開催とし、その後も継続するため「事務局機能の整理」することを目的として実施した。まちの先生登録者は2013年度末で21名だった。2025年現在、「まちの先生講座」は、市民の会の中心的な事業となり継続中。まちの先生登録者(リスト)は59名、10月から33講座を開催予定(2025年6月現在)。2024年度の受講生は延べ584人。

さて、ここまで振り返って10年ほど。長すぎるので、振り返りはおしまい。

「なぜ20年以上も続けて来たのか?」に対する答えのひとつは、課題が解決していないから。学びと同じで、「課題をひとつ解決すると、次の課題が立ち現れる」その連続。「入間市民の生涯学習は十分に推進されました。もう成すべきことはありません」という状態は、やってこない。はて、どうする?

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