市民の会と私の30年/今井文香

入間市生涯学習をすすめる市民の会発足30周年、おめでとうございます。

もうそんなになるのですね。時の経つのは早いものと常々感じますが、市民の会の活動は特別で、まさに奇跡だと思います。市からの「依頼」によって活動するこの市民団体は、市民の意思と熱意だけで存続し、義理も強制もないのですから! 現在は多少変わっているのかもしれませんが、財源は市からの補助金で、生涯学習を推進する内容なら何でもあり!という自由度の高さ。この極めて実験的な団体が30年も活動するというのは、発足当時誰が想像し得たでしょうか?

市民の会の発足年は1995(平7)年。当時私は入間市博物館の学芸員でした。確か市民の会発足前だったと思いますが、博物館の会議室で、イキの良いキラキラ(ギラギラ?)した市民の方々が、何か不思議なまちづくりの会合?をされていたことを微かに覚えています。発足前後は何となく知っている程度で、取り立てて関わりはありませんでした。1998(平10)年に生涯学習課(当時)へ異動して、市民の会の担当となるまでは!

ここから始まる私と市民の会との関わりは、ほぼ私の市役所人生と重なります。頭の柔らかだった30代の時期に、市民の会の皆さんと出会えて本当に良かった!生涯学習を通したまちづくりの手法を学び、市民との協働により取り組む大切さを、頭と体と心に叩き込んでくださった、市民の会の皆さんは私にとって恩人です。

市民の会の30年を勝手に10年ごとに区切ると、私が主に関わったのは前期・中期になります。私が市民の会の事務局担当となったのは1998(平10)年度から2003(平15)年度の6年間で、「いるま学びの場」、生涯学習情報紙「かがやく」、「生涯学習けいじばん」、学校との連携等、様々な取組に携わらせていただきました。毎回例の無い新しい仕事ばかりで、飽きっぽい私の性には合っていたのだと思います。楽しかったなー。行政内部の部署を超え、行政・民間を超え、様々な立場や分野で活動する人たちとの仕事は、一筋縄ではいかず、こんなに意見が違って形になるのだろうかと思うこともしばしばでした。それでも、何度も話し合いながら互いを理解して合意していくことが大切と学びました。「協働」のあり方を学ぶ、まさに私にとっての生涯学習の場でした。

そんな私にとって、思い出深い仕事は、ちょうど21世紀になる頃の第6回いるま生涯学習フェスティバルのオープニングセレモニー「音楽と映像でよみがえる20世紀‥そして故郷いるま」。これは市民の会の実行委員2名が中心となり、「生涯学習」や「子どもの遊び」を切り口に、古写真の投影や流行歌を通して、入間の20世紀を振り返るものでした。私は資料提供や構成補助で参加しましたが、ここで市民自らが調べて形にしていく作業に感銘を受けました。学芸員経験のある私は、調査・研究・普及は専門職の仕事と、どこか不遜なところがあったように思います。市民自身が調べ夢中になって取り組む姿を見て、一方的な教育普及ではなく、主体的に市民が参画することで、地域の歴史により愛着を持つことができるんだなーと実感した出来事でした。市民はお客さんではなく、共にまちを作っていく同士であり、職員として教えを乞うことがたくさんあると、私のまちづくりの取組の原点となりました。

2004(平16)年度以降は、生涯学習課から他の社会教育施設へ異動しましたが、この市民の会「中期」にあたる期間は、いるま生涯学習フェスティバルの実行委員や参加団体として関わりました。業務上、地域づくりの課題に取り組んでいた時期で、市民の会との関わりで得た様々な分野の市民活動団体の人脈や生涯学習の手法が役立ちました。また、青少年活動センターでの課題であったこども食堂や中高生の居場所づくりについて、市民スタッフと共にフェスティバルでワークショップを開催し、その後の事業を展開することができました。特にこども食堂については、3回のワークショップを経て、こども食堂ネットワークいるまを発足し、市内各所にこども食堂を広げることができました。ワークショップに取り組む場所として、担い手となる市民を広く集めるため、まず浮かんだのは生涯学習フェスティバルでした。フェスティバルが単発の事業で終わるのではなく、子育てわくわくマップのような、その後の活動の起点となり得ることを間近で見ていたからかもしれません。

様々な市民活動を見てきて思うことは、組織は生き物であり、時と共に同じように存続することは極めて難しいということです。恐らく市民の会についても同様で、様々な危機を乗り越え現在も存続していること、現委員の皆様の熱意に敬意を表します。できることならば、生涯学習フェスティバルのような、市民と行政の協働の実験場や、何かを始めたい市民や職員にとって後押しとなる起爆剤のような場を、今後も創出いただけたら嬉しい!と願ってやみません。難しいことは重々承知の上で、ご協力と応援を続けたいと思います。

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