入間市が「寝る場所」から「住む場所」へ ~ 市民の会での学びとつながり ~/幸森康夫
昭和の終わり、バブル真っ盛りの頃に私は入間市へ越してきました。職業は建設コンサルタント。日々残業続きで、入間市は「寝に帰るだけの場所」に過ぎませんでした。
そんな入間市が「住む場所」へと変わったのは、ある新聞記事がきっかけです。地域通貨を運営する団体が市内にあると知り、興味を持ちました。当時、私はハード面のまちづくりに携わっていましたが、まちができた後のコミュニティ形成の重要性を感じていた時期でもありました。
早速「地域ふれあい通貨元気運営委員会」に参加。そこには、まちづくりに情熱を注ぐ方々が多く、圧倒されながらも刺激を受けました。市民との交流を通じて、初めて「自分は入間市民なのだ」と実感できたのもこの頃です。
この委員会を通じて「市民の会」と出会い、代表の山尾さんからフェスティバルへの参加を勧められました。平成16年(2004年)の第10回フェスでは、市民活動と行政部会が企画したワークショップの司会を担当。市民と行政が「協働」について熱く語り合う、そんな時代でした。
フェスで知り合った仲間とともに、ティーロードバスの運行状況を調査・分析し、市民の足としてのコミュニティバスの在り方を市長へ提言するなど、まちづくりへの熱意が溢れていました。
フェスデビューから3年後、ようやく市民の会に入会。当時は定員いっぱいの会員が在籍し、皆がまちづくりに燃えていました。私もその熱気に圧倒されながら、何とかついていった記憶があります。
特に印象に残っているのは「講座部会」の活動です。5~6回の連続講座を1~2週間おきに開催することで、参加者同士がつながり、講座終了後には団体が結成されることもありました。まるで“インキュベーター”のような役割を果たしていたと思います。異常気象による自然災害が頻発する今、頼りになるのは「共助」です。人と人のつながりを生む装置としての連続講座は、非常に有意義なものでした。
もう一つ印象深いのは、バスでの先進地視察です。通常なら“遊び”の時間となるバスの中が、市民の会では“学び”の場でした。俳句のシャッフル、象形文字の読み方、同じ部首の漢字、トンチやクイズなど、楽しく愉快な学びが詰まっていました。「こんな遊び方があるのか」と驚いたものです。
最近は会員数が減少していますが、“まちの先生講座”は10年以上も続いています。当初は会員が中心となって企画・運営していましたが、今では先生方自身が主体的に講座を担うようになり、巣立ちの時も近いのではと感じています。
振り返れば、東野高校でのフェスティバル、ソーラーカーづくり、寄付金集め、掲示板のメンテナンス、横断幕貼りなど、数え切れないほどの経験をさせていただきました。
市民の会での活動は、私にとって生涯学習そのものであり、地域とのつながりを深める貴重な時間でした。これからも、学びと交流を大切にしていきたいと思います。
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